初めて何も準備しなかった大晦日
年が明けました。おめでとうございます。無事に新年を迎えられて幸せです。
今年のお正月はなんとなくいつもと違った気分で迎えました。
それというのも大晦日に何もしなかったからなのです。何もしないというのは楽でありながら実は辛い、ということを経験しました。
世の母達は大晦日には夜遅くまで正月の準備をしますね。(しない人もいるかもしれませんが)
私の母も毎年お正月を迎えるために年末のお節づくりを頑張っていました。子供たちが独立した後も 正月には子供たちが孫を連れて来るので20人分くらいの料理を毎年つくっていて大変だったと思います。
昔のお母さんたちは真似ができないほど本当によくやっていました。尊敬します。
自分はどうかというと、母ほどは頑張っていませんでしたが、買える物は買って、煮物など自分でつくったほうがおいしいものは自分でつくりました。
何度かお節を買ったことはあるんですが、値段ほどおいしくもなく、高価な材料のものなのに食べ残すというのがもったいなく感じてしまい、買うのはやめようという結論になりました。
お節料理もひとつひとつに意味があるわけだけど、食べ残されるのも哀しいので家族が喜んで食べるものだけ準備する、というふうになっていきました。
旅行に行って上げ膳据え膳の正月を迎えるというのにも憧れますが、そういえばお正月に旅行に行ったことは一度もありませんでしたね。
余計な話ですけど、
大晦日の日、最後に買い物に行った帰り道、肛門科クリニックの前の道を車で通り過ぎたんですが、入院の病室に電気がついていたのを見て、ここでお正月を迎える人もいるんだなぁと思いました。
入院患者さんにお正月らしい気分になれるお食事を出してもらえるんでしょうかね?
術後の痛みはあるけれど、ひとり寂しいお正月を過ごすよりは 肛門科に入院するのも人によってはいいかもね、と ふと思いました。
大晦日の日の夜ご飯は 何にしようかと思ったんですが、夫が寿司でいいよ、というのでスーパーで寿司を買い、お蕎麦も食べるというので、冷凍の鴨南蛮蕎麦と天ぷら蕎麦を買ってみました。
驚いたのは冷凍の鴨南蛮蕎麦が超おいしかったこと。鴨出汁の風味とか焼いたネギの香ばしさとかがすごくよく出ていて お蕎麦屋さんもビックリなお味でした。
その夜、お寿司とお蕎麦に満足しちゃって、(というか満腹で動けなかった)本当ならその晩に煮しめとかつくるのに、何にもしませんでした。朝食べるお雑煮の出汁もつくっておく予定だったのに それもつくりませんでした。
テレビを見ながら 「明日の準備をしてないんだけど・・・」って小声で言ったら、夫が何もしなくていいよ、と言うので、えー?って思ったんですが、明日の朝やればいいや、って のんびりしちゃいました。
自分の中では 母もそうだったし大晦日には最低限でも煮しめをつくったりしなくちゃいけないっていうのがあって、それが当たり前なんだって思っていました。それなのに何もしなかった。元旦の朝、どうなってるんだろうかと思うと ちょっと心配でした。
前の晩、夜更かしして夫は朝寝坊してくれました。
私も夜更かししたんですが、何もしていないことが心配で家族よりも早めに起きてしまいました。
出汁をとるところから始めて、1時間半くらいでお雑煮とごった煮みたいな煮物をつくりました。
短時間で煮た煮物に文句を言われるかと思ったら、意外にもおいしいと言われて胸をなでおろし、大好きな伊達巻も食べられたし、無事に元日の(遅めの)朝を迎えられました。
でもやっぱり何も準備しないと慌てます。せめて野菜を花型に切って茹でておくとか昆布を浸けておくくらいはしたほうがよかったので反省です。それに準備していないことが心配でゆったり眠れなかったし。
そんなわけで、何もしなくていいよと言われても大晦日に何も準備しないと自分が辛いというのがわかったお正月になりました。
ーーーここからは拍手コメント様への返信ですーーー
M様、拍手コメントありがとうございます。
そうですね、これからは楽に生きていったほうがいいですよね。
私、いただいた拍手コメントを読んで「何もしなくていいよ」と言った夫の言葉の意味がわかりました。
本当に何もしなくても怒られたりしなかったのかもしれない、
素直に言われたとおりに 無理しなくても良かったんだなぁ・・・と思いました。
まぁだけど、多少でも家族のために何かしてあげたいという気持ちもあるので私も無理しない程度に楽にやっていきます。
そしてこれからはすべての事を縮小していきたいですね。
今年のお正月はなんとなくいつもと違った気分で迎えました。
それというのも大晦日に何もしなかったからなのです。何もしないというのは楽でありながら実は辛い、ということを経験しました。
世の母達は大晦日には夜遅くまで正月の準備をしますね。(しない人もいるかもしれませんが)
私の母も毎年お正月を迎えるために年末のお節づくりを頑張っていました。子供たちが独立した後も 正月には子供たちが孫を連れて来るので20人分くらいの料理を毎年つくっていて大変だったと思います。
昔のお母さんたちは真似ができないほど本当によくやっていました。尊敬します。
自分はどうかというと、母ほどは頑張っていませんでしたが、買える物は買って、煮物など自分でつくったほうがおいしいものは自分でつくりました。
何度かお節を買ったことはあるんですが、値段ほどおいしくもなく、高価な材料のものなのに食べ残すというのがもったいなく感じてしまい、買うのはやめようという結論になりました。
お節料理もひとつひとつに意味があるわけだけど、食べ残されるのも哀しいので家族が喜んで食べるものだけ準備する、というふうになっていきました。
旅行に行って上げ膳据え膳の正月を迎えるというのにも憧れますが、そういえばお正月に旅行に行ったことは一度もありませんでしたね。
余計な話ですけど、
大晦日の日、最後に買い物に行った帰り道、肛門科クリニックの前の道を車で通り過ぎたんですが、入院の病室に電気がついていたのを見て、ここでお正月を迎える人もいるんだなぁと思いました。
入院患者さんにお正月らしい気分になれるお食事を出してもらえるんでしょうかね?
術後の痛みはあるけれど、ひとり寂しいお正月を過ごすよりは 肛門科に入院するのも人によってはいいかもね、と ふと思いました。
大晦日の日の夜ご飯は 何にしようかと思ったんですが、夫が寿司でいいよ、というのでスーパーで寿司を買い、お蕎麦も食べるというので、冷凍の鴨南蛮蕎麦と天ぷら蕎麦を買ってみました。
驚いたのは冷凍の鴨南蛮蕎麦が超おいしかったこと。鴨出汁の風味とか焼いたネギの香ばしさとかがすごくよく出ていて お蕎麦屋さんもビックリなお味でした。
その夜、お寿司とお蕎麦に満足しちゃって、(というか満腹で動けなかった)本当ならその晩に煮しめとかつくるのに、何にもしませんでした。朝食べるお雑煮の出汁もつくっておく予定だったのに それもつくりませんでした。
テレビを見ながら 「明日の準備をしてないんだけど・・・」って小声で言ったら、夫が何もしなくていいよ、と言うので、えー?って思ったんですが、明日の朝やればいいや、って のんびりしちゃいました。
自分の中では 母もそうだったし大晦日には最低限でも煮しめをつくったりしなくちゃいけないっていうのがあって、それが当たり前なんだって思っていました。それなのに何もしなかった。元旦の朝、どうなってるんだろうかと思うと ちょっと心配でした。
前の晩、夜更かしして夫は朝寝坊してくれました。
私も夜更かししたんですが、何もしていないことが心配で家族よりも早めに起きてしまいました。
出汁をとるところから始めて、1時間半くらいでお雑煮とごった煮みたいな煮物をつくりました。
短時間で煮た煮物に文句を言われるかと思ったら、意外にもおいしいと言われて胸をなでおろし、大好きな伊達巻も食べられたし、無事に元日の(遅めの)朝を迎えられました。
でもやっぱり何も準備しないと慌てます。せめて野菜を花型に切って茹でておくとか昆布を浸けておくくらいはしたほうがよかったので反省です。それに準備していないことが心配でゆったり眠れなかったし。
そんなわけで、何もしなくていいよと言われても大晦日に何も準備しないと自分が辛いというのがわかったお正月になりました。
ーーーここからは拍手コメント様への返信ですーーー
M様、拍手コメントありがとうございます。
そうですね、これからは楽に生きていったほうがいいですよね。
私、いただいた拍手コメントを読んで「何もしなくていいよ」と言った夫の言葉の意味がわかりました。
本当に何もしなくても怒られたりしなかったのかもしれない、
素直に言われたとおりに 無理しなくても良かったんだなぁ・・・と思いました。
まぁだけど、多少でも家族のために何かしてあげたいという気持ちもあるので私も無理しない程度に楽にやっていきます。
そしてこれからはすべての事を縮小していきたいですね。