先日会った小学校からの友達というのは、例の宗教をがっつり信仰している人。そして春に胃の手術もしました。術後の検査結果も良くて再手術も必要無いと判断され通常の暮らしに戻っています。
    こんなに軽く済んだのも信仰のおかげだと言っていました。

    そのように言われれば、「そんなはずは無いよ」なんて事をいう必要もないわけだけど、否定しないからと言って私が入信するわけはありません。
    それなのに・・・・
    あきらめないんですよね。私を信仰の道に誘うことを。

    先日もキリスト教か何かの宗教をやってる人が聖書を学びませんか?と尋ねてきて、すぐにお断りして帰ってもらったんですが、そういう人は誰か一人でも救えたらいいと思っている親切心から勇気を振り絞って知らない人の家に飛び込み勧誘しているわけですよ。そういう人にはなんかわからないけどご苦労様という気持ちと洗脳されて気の毒な気持ちが混ざって冷たい態度はとれない自分なんですよね。

    同じように、この友達にもそういう気持ちがあるし、友達としては気が合うし子供時代の家庭環境のこととかお互いに良く知っていて気の置けない人なんです。貧乏性なのも似たようなもので。

    仲は良いけどそれだけはダメだ、人は好きだけどそれだけは好きになれない、そんなに好きなら自分ひとりだけやってればいいじゃん、って言っても、気にせず懲りない。しかししつこいのは信仰心から来るものであることはわかっています。

    会うたびに最後はその話になるので別れる前には気まずくなるんですが、今回はあまりに洗脳しようとするので可笑しくなって笑ってしまいました。
    「心の中では絶対信仰を求めている」
    「そのうちに信心したくなるよ」
    「もう心の中で題目をあげているでしょ?私と一緒にやろう」

    まぁね、勧誘すれば自分にも功徳があると思っているからそうやって頑張ってるんだと思うけど、死ぬまでこうやって言われ続けるんだろうな、と思いましたよ。(でも幸せに暮らしてほしいということは私も祈っています)

    不思議なことに何となくですけど、この友達と会うのはこれが最後のような気がして(どちらかが先にこの世とおさらばするという意味ではなくメールや電話、LINEはするけど)楽しくお別れしたいなと思いました。だから笑わせてもらえて良かったです。
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