学会の友達は会合や孫の世話でわりと忙しくしていて、その合間に暇な時間ができると私に電話などをしてきます。
    ここのところは私が研修に行ったりしていて電話に出られないことが多かったのですが 研修も終わりましたし電話に出てみると近況報告から始まった後、結局やっぱりいつものように宗教への勧誘の話になりました。

    勧誘されてもいつも断わってるからお互いに慣れたものなんだけど、研修が終わったら働きに出ようとしている私に、「どうせ働いたって月にせいぜい6万か7万でしょう?そんな程度稼いでどうする?」っていうので、「少しでも稼がないと病院代すら払えなくなるわ」って言ったら、「年とって働かなくても信心して祈っていればその功徳でどうにでもなるんだよ」って言うんですよ。

    あ~そうですか!って呆れて返事しましたけどね、この年になってから働こうとうすると惨めったらしく見えるのかもしれないです。まぁでもそれはそうかもしれないな、とは思います。
    しかしですよ。6万か7万稼いだって大して暮らしは変わらないでしょ?っていう言葉には呆れます。私にとっては大きいんです。家賃の足しになるし病院代にもなる。(足りないくらいだけど)

    この人の旦那さんが不正をして会社をクビになり働くところが無くて、今必死に自営業をやって頑張って どうにか生活していけるのも信心しているからだって言ってるんだけど、信仰の道に誘うのには まったく説得力が無いということに気づかない。
    高い保険料のガン保険に長期間入っていて、今回の胃ガンの手術で何十万か保険が降りたのも信心のおかげだとバカげた話をする。(そもそも胃ガンになったのは幸か不幸かと考えてしまう)

    長いこと保険料を払っていて、何にも使われないで終わっちゃう人も多い中、保険が降りたことはそれはそれでラッキーかもしれないけど、それを信仰のおかげだと思い込む。しかし今まで払い込んできた保険料はいったいいくらなのか計算してはいない。本人いわく、貯金はできないけど保険料は払えるんだそうです。
    保険というのは、そういった計算ができない人が洗脳されちゃうんだろうなと思います。

    そこでね、またまた変な考えが浮かんできちゃいました。「保険と宗教は似たようなもの」洗脳されやすい人は何にでも影響を受けてしまう。
    この友達が信心しない私のことをバカにするのって、目糞が鼻糞を笑うようなものなんじゃない?恥ずかしいわって思うんですけど。しかし私もこの友達と変わらず大したこと無い人間なので洗脳から救ってあげることもできません。(残念だわ)
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