息子のことを 息子さんと呼んでみる
やさしいばっかりでは子供は育てられないし、息子からどう思われようが、大事にしてきたつもり。
ところが、大人になってみると、自分一人で大人になったみたいな生意気な口をきく。
生意気に偉そうなことを言われると黙っていられなくなってしまう私がいます。
先日、息子と喧嘩したわけですが、どちらも謝ることはなく、なんとなくそのままの日常になり、
またいつかぶり返した時には、蓄積されたものがわき出てくるのかな、と思う。
喧嘩しても 自己主張ばかりで相手を尊重しない限り平行線、というよりも
尊重していたら喧嘩にもならないはずだけど。そこはやはり、親子だから言いたい事を言うのだとも思う。
息子は私の所有物ではない、と考える事にしよう。
他人の子供を預かっていると思うことにしよう。
「息子さん」と呼んでみることにしよう。
そんなようなことを考えた週末でした。
ところで、話は変わりますが、
引き出しの中を整理していたら、息子が中学生の時に友達からもらった手紙が出てきました。
息子が読んだあと 私がなんとなく思い出にとっておいて しまったままの手紙でした。
転勤で九州に行ったあと、小学校卒業と同時にまた転勤しました。
6年生の時の友達グループ5人のうちの一人からの手紙でした。
小学校の3年で九州に転勤した当時は、いじめられて なかなか友達ができませんでした。
5年生でクラス替えがあって、やっと友達が4人できて、6年生(卒業)まで仲良く毎日のように遊んでいて、
我が家にもしょっちゅう遊びに来ていましたので、その友達の事は私もよく知っていました。
手紙の内容は、「遺書」と書かれていたり、「この手紙は本当の事と嘘が書かれています」とか書いてあって、
友達の4人のうちの一人から いじめられるようになってしまって辛くて悲しいという内容でした。
当時は仲が良かったグループだったのに、いじめられるなんて、まさか!と冗談かと思っていました。
ふざけあっていたから、どうせふざけた冗談の嘘が書かれていたのだろうと、息子も気にしませんでした。
15年ぶりに見た手紙。
今ならわかる。
それが本当の事だったのだろうという事が。
私と息子は、当時のその手紙を書いた友達の事を思うと、胸が痛くなりました。
いじめていたほうの友達は大人になってから、東京に出たいからと息子に接近してきました。
息子は友達だからと親切に あれこれと世話を焼き、お金の面でも世話を焼き、
バイトのことや住まいのこと、布団やら電化製品やら、私も手伝っていろいろ面倒をみましたが、
結局は いいように利用されて、裏切られてしまった。(借金をさせれた友達とは別の人)
バイト先でも息子の立場を悪くするようなことばかりして、その他の友達関係でも いじめられたみたいなものです。
その友達とは既につきあっていませんが、まだ東京に住んでいます。(会えば挨拶程度はするらしいですが)
小学校の時にはわからなかったけど、本当は性格の悪いヤツだったということが大人になってわかったのです。
いじめられてしまった友達、今、どうしているんだろうか。
無事に大人になったのかなぁ。
過ぎてしまって どうしようもない事を、昨日は心配してしまいました。