中学の同級生のひとりの友人と、子供に対する考え方が全く違うのは、

    やはり育った環境によるもので、羨ましくも悲しくも思えます。

    その友人は、自分の子供に

    「この世にあなたを産んであげたのは私なのだから感謝しなさい」と言うのだそう。

    それを聞いた私は、その親子は良い環境で、何の後悔も疑問もなく

    本当に幸せに暮らしてきたんだなぁ、と思います。

    また、その子供さんが、産まれてきたことを親に感謝できるということは

    育て方も素晴らしかったんだなぁと思います。


    その友人には、欠点がひとつもありません。

    美人で勉強ができてスポーツ万能。人柄も良く、家柄も良い。

    こんな人は滅多にいません。

    それに引き換え、私は持って産まれたものが少なすぎます。

    最初っから何も持っていないのですから必死で努力するしかないです。

    持って産まれたものの違いで、悲観的な考えになったりするわけで、

    別に私のせいじゃないし 神様は不公平だ なんて思ったことがあります。


    そんな私が、結婚して子供を産んでしまった。

    その子供は、いじめにあったり挫折したり、子供なりに苦労しました。

    子供が辛くて落ち込んで悩んでいる時に、私がどんな思いをしたかというと、

    口には出しませんでしたが、

    「ごめんね、私が勝手に産んじゃったから 辛い思いをさせてしまって・・・」 です。

    幸せにできる自信もないのに 勝手に産んでしまったと負い目を感じています。

    世渡りが下手で馬鹿な子供を産んでしまって可愛そうで仕方ないと思っています。

    だから、年老いた親の面倒なんか見なくていいからね、と思っているのです。

    親のことは忘れて ただただ 自分のことを大事にして幸せになってもらいたい、

    生きている親を見捨てることができないなら、子供の前から消えてしまいたい、

    とさえ思っている私です。

    だけど、消えてしまったら、子供が助けて欲しい時に助けてあげられないから

    消えるにも消えられないし、死ぬに死ねない。

    立派になって幸せになるのを見届けてから 子供を解放してあげたい と思っているのです。

    世の中は 大人でも子供でも生きていくのが難しいです。

    産んであげたんだから感謝しなさい なんて、ほんの少しも思えません。

    自分は 本当に悲観的だなぁって思いますが、持って産まれたものが思わせる

    性格や考えだから仕方ないのです。

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